共有

第74話 風邪と甘い看病③

作者: 花柳響
last update 最終更新日: 2026-01-19 06:00:41

 けれど、征也は私の手を両手で包み込み、逃がさないように強く握りしめた。

「俺が、お前の側を離れない。……これからは、俺の目の届く範囲ですべて管理する。一秒たりとも、勝手に怯えたり、壊れたりすることは許さない」

 それは、愛の告白というにはあまりに傲慢で、けれど痛々しいほど切実な響きだった。

 支配者が、自分の所有物を守りきれなかったことへの悔恨。

 私の弱さが、彼の完璧だったはずの計画を狂わせてしまったのだ。

「仕事は……?」

「全部キャンセルした。秘書たちには、俺が死にかけたと言ってある」

「そんな……嘘までついて……」

「嘘じゃない。……お前がいなくなったら、俺は死ぬ」

 真顔で言われた言葉の重さに、息を呑んだ。

 彼の瞳は、暗く、深く、私だけを映している。

 そこにあるのは、狂気スレスレの執着。けれど、それは間違いなく「愛」に近い熱量を孕(はら)んでいた。

 熱のせいだろうか。

 それとも、彼の常軌を逸した執着に、心のどこかで安らぎを感じてしまっているせいだろうか。

 張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた音がした。

 視界が歪む。

 目の前の彼が、四年前の「征也くん」と重なる。

 隣のアパートに住んでいた、不愛想だけど不器用なほど優しかった男の子。

 私が恋をして、そして私の浅はかさで傷つけてしまった、世界で一番大切な人。

「……せい、や……くん……」

 意識が朦朧としてくる。

 体と心の境界線が曖昧になり、奥底に重く蓋をして封じ込めていた本音が、泡のように浮かび上がってきた。

「……すき……」

 頬を撫でていた征也の動きが、ピタリと止まる。

「……なんだと?」

「すき……
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第114話 冷え切った食卓④

     ◇ 病院の特別個室があるフロアは、異様な空気に包まれていた。 消毒液のツンとする匂いと、張り詰めた緊張感。 病室の前には、岩のように屈強な黒服の男たちが二人。 エレベーターホールにも二人。 征也の言葉に嘘はなかった。これでは、蟻一匹逃げ出すことなどできそうにない。 母との面会時間は、砂時計の砂が落ちるようにあっという間に過ぎ去った。 眠る母の痩せた手を握りしめ、心の中で謝罪を繰り返す。 ――ごめんなさい、お母様。私、行かなくちゃいけないの。 病室を出て、重い足取りで廊下を歩く。 ポケットの中で握りしめたスマートフォンが、微かに震えた気がした。 蒼くんからは『中庭で待っている』とメッセージが入っていた。 でも、どうやって? 背後には、私の影を踏むような距離でSPが付き従っている。 息が詰まる。「あの……少し、風に当たりたいんですけど」 私は立ち止まり、振り返ってSPに声をかけた。「屋上庭園へ行ってもいいですか」 SPたちは顔を見合わせ、インカムで短く言葉を交わした後、能面のような無表情で頷いた。「承知いたしました。ご案内します」 許可が出た。 屋上ならば袋小路だ。逃げ場がないから安心だと判断したのだろう。 私は彼らに挟まれるようにして、エレベーターの箱に閉じ込められた。 屋上庭園は、患者たちの憩いの場として開放されている場所だ。 手入れされた花壇には季節外れの花が揺れ、自動販売機のモーター音が低く唸っている。 平日の中途半端な時間帯、人影はまばらで、風の音だけが耳につく。 私はベンチに腰を下ろし、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。 冷たい風が、火照った頬を撫でていく。 SPたちは少し離れた場所で、鷹のような目で周囲を警戒していた。 この距離なら、囁き声までは届かないはずだ。 その時。 植え込みの陰から、白衣を纏った男性が現れた。 医師の格好をしている。大き

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第113話 冷え切った食卓③

     ◇ 翌日。 重く垂れ込めた雲の隙間から、色のない光が差し込んでいた。 雨は止んでいたけれど、湿気を帯びた空気は肌にまとわりつくようで、屋敷全体が巨大な水槽の底に沈んでいるような息苦しさがある。 私は身支度を整え、足音を忍ばせて玄関ホールへと降りた。 姿見の前で立ち止まり、ひきつった自分の顔を見つめる。 睡眠不足で透き通るほど青ざめた肌も、丹念にメイクを重ねれば、平気なふりができる。嘘をつくための仮面だ。 鏡の中の自分が、無意識のうちに首元へと指を這わせていた。 鎖骨のくぼみに、硬質な重みが鎮座している。 大粒のサファイア。彼が私に与えた首輪であり、逃げ場のない所有の証。 この屋敷を出るのなら、置いていくのが筋だと分かっている。 けれど、留め具に爪を掛けようとした指先が、凍りついたように動かない。 最初は氷のように冷たかった石が、私の体温を吸い取り、まるで皮膚の一部になったかのように生温かく脈打っている。(……どうして) 頭では拒絶しているはずなのに、この重みがないと不安でたまらない自分がいる。 胸の奥がざわざわと波立つ。私は逃げるように鏡から視線を外し、スカーフをきつく巻き直した。 外すことはできなかった。せめて誰の目にも触れぬよう、深い場所に封じ込める。「……出かけるのか」 背後から低い声が鼓膜を震わせ、心臓が口から飛び出そうになった。 ゆっくりと振り返る。 階段の踊り場に、天道征也が立っていた。 いつもなら針金一本通さないほど完璧に着こなしているスーツ姿ではない。昨夜と同じシャツは深く皺が刻まれ、胸元のボタンは乱暴に外されている。整えられた髪もかき乱され、数本が額に落ちていた。 漂ってくるのは、強いアルコールの匂い。 彼は一睡もしていないのだろうか。その瞳は血走って濁り、どこか焦点が合っていないように見える。「……はい。今日はお母様のお見舞いに行く日ですので」 喉の震えを飲

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第112話 冷え切った食卓②

     私の心が弱いからだ。まだ、あの優しかった「征也くん」の面影を捨てきれずにいるからだ。 征也はふっと口の端を歪めた。 自嘲とも、蔑みとも取れる笑み。「……優しいな、人殺し相手に」「っ……」「心配するふりなんてしなくていい。……お前は、俺が早く死ねばいいと思ってるんだろう」 彼はグラスを煽り、空になった器をテーブルに叩きつけた。 ドンッ、という音が響き、私は肩を震わせる。「違います……私はただ……」「ただ、なんだ。……俺が弱れば、逃げ出しやすくなると思ってるのか」 息が止まる。 征也はふらつく足取りで立ち上がり、私の方へと歩いてきた。 酒の匂い。 ムスクと煙草、そしてアルコールの饐えたような匂いが混じり合い、鼻をつく。 彼は私の椅子の背もたれに手をつき、顔を近づけてきた。 充血した目。荒い息遣い。 怖い。 以前のような、計算された威圧感ではない。 制御の効かない、壊れた機械のような危うさがある。「……逃がさないぞ」 耳元で、湿った声が囁く。「俺が死んでも、お前は道連れだ。……あの世まで、鎖で繋いで連れて行く」 征也の手が、私の首元のサファイアに触れた。 冷たい指先が、肌の上を這う。「……っ、離して……!」 私は反射的に彼の手を振り払った。 パチン、と乾いた音がする。 征也の手が宙を舞い、力なく垂れ下がった。 彼は怒らなかった。 ただ、手負いの動物のような目で私を一瞥し、よろめきながら書斎の方へと去っていった。 背中が、小さく見えた。 どうしようもなく孤独で、悲痛な背中。 残された私は、冷え切った食卓で、震える拳

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第111話 冷え切った食卓①

     あの日から、屋敷に流れる時間は凍りついたままだった。 窓の外では、季節外れの長雨がしとしとと降り続いている。 湿った空気が隙間という隙間から入り込み、屋敷全体を覆う重苦しい沈黙を、さらに粘り気のあるものへと変えていた。 夜の七時。 ダイニングルームには、カチャリ、カチャリと、銀の食器が触れ合う乾いた音だけが響いている。 広すぎるマホガニーのテーブル。 その端と端に、私と征也は座っていた。 かつては、彼が私の隣に椅子を引き寄せ、膝が触れ合うほどの距離で食事をしていた場所だ。 けれど今は、物理的な距離以上に、果てしない断絶が二人の間に横たわっている。「……」 私は皿の上に載せられた白身魚のポワレを、フォークの先で小さく崩すことしかできなかった。 喉の奥が詰まって、固形物を受けつけない。 おそるおそる視線を上げると、テーブルの向こうに座る征也の姿が目に入った。 彼は、食事に手をつけていなかった。 手元にあるのは料理ではなく、琥珀色の液体が波々と注がれたロックグラスだ。 彼は無言でグラスを傾け、氷がカランと音を立てるたびに、強い酒を喉の奥へ流し込んでいる。 その姿は、見ていられないほど荒んでいた。 いつも完璧に整えられていた黒髪は乱れ、無精髭が顎を覆っている。 シャツのボタンは三つほど外され、露わになった鎖骨は病的なほど白い。 目の下には濃い隈が刻まれ、頬がこけている。 たった数日で、彼は別人のようにやつれてしまっていた。「……社長」 耐えきれず、私は声をかけた。 征也の手が止まる。 虚ろな瞳が、ゆっくりとこちらに向けられた。 その目には、私を射抜くような鋭さはもうなく、ただ曇った硝子玉のような虚無が広がっている。「……なんだ」 声が、酷く掠れていた。 酒焼けしたような、ざらついた響き。「少しは、食べてください。…&hellip

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第110話 孤独の影⑥

     ◇ 廊下に出た征也は、ドアに背中を預けたまま、動けずにいた。 膝から力が抜け、ずるずると床へ崩れ落ちそうになるのを、歯を食いしばって必死で堪える。 左手が、小刻みに震えていた。 彼女に触れようとして、拒絶された手だ。 『気持ち悪い』『吐き気がする』 莉子の悲痛な叫びが、呪いのように鼓膜にへばりついて離れない。「……っ、ぐ……」 喉の奥から、乾いた呻きが漏れた。 痛い。 心臓を素手で鷲掴みにされ、握り潰されたようだった。 四年前。まだ何者でもなかった自分が、彼女の家の事情を知りながら、何もできずにただ指をくわえて見ているしかなかったあの日。自分の非力さを骨の髄まで思い知らされたあの時よりも、ずっと深く、致命的な傷だ。(……これでいい) 征也は、震える手で顔を覆った。 あそこで「俺じゃない」「神宮寺がやったんだ」と説明することはできた。 だが、今の俺にそれを証明する手立てはない。 神宮寺蒼は狡猾だ。自分の手を汚さず、すべての痕跡を綺麗に消し去り、俺になすりつけている。 今、莉子に真実を告げても、「往生際が悪い」「嘘つき」と罵られるだけだ。 それに、下手に神宮寺を刺激すれば、奴は何をするか分からない。莉子の身に、取り返しのつかない危険が及ぶかもしれない。 ならば、自分が泥を被り、悪役になればいい。 父の仇として憎まれ、軽蔑されても、彼女をこの手元に置いて守り抜く。 それが、不器用で愚かな今の自分にできる、唯一の償いであり、愛し方だ。「……嫌っていいぞ、莉子」 誰もいない薄暗い廊下で、彼は誰に聞かせるでもなく呟いた。「俺を殺したいほど憎んでくれ。……そうすれば、お前は俺から目を逸らせない」 歪んだ論理だとは分かっている。 でも、そうでもしなければ、心が粉々に砕けてしまいそうだった。 征也は壁に手をついて立ち

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第109話 孤独の影⑤

     部屋に残された私は、その場に崩れ落ちた。 床に散乱した書類の海の中で、膝を抱えて小さくうずくまる。 これで、よかったはずだ。 彼がひた隠しにしてきた罪を突きつけ、拒絶し、言葉の刃でその心を切り裂いてやった。父を死に追いやった無念を、ほんの少しは晴らせたはずだ。 それなのに。 どうして、こんなにも胸が痛いのだろう。 最後に見た、征也の目。 『気持ち悪いか』と呟いた時の、あの一瞬の表情。 まるで、迷子が親に見捨てられた時のような、どうしようもない孤独と恐怖が滲んでいたあの目が、脳裏から離れない。(……騙されないで。あれは演技よ) 自分自身に言い聞かせるように、奥歯を強く噛みしめる。 彼は父を追い詰め、全てを奪い去った略奪者だ。それだけは、決して揺るがない事実なのだから。 蒼くんがくれた証拠は嘘をつかない。 でも、もし。もし、まだ私の知らない真実があったとしたら? 彼はなぜ、あんなにも悲しそうな顔をしたの? 頭が割れそうだ。 私は書類の束をかき集め、ゴミ箱に叩き込んだ。見たくない。何もかも忘れてしまいたい。 ブブッ、と手元のスマートフォンが短く震え、思考を現実に引き戻した。 無機質な液晶画面に浮かび上がる『蒼くん』の文字。 まるで、この密室での出来事を壁の向こうから覗いていたかのような、絶妙すぎるタイミングだった。『見たかな? 辛かっただろう。……でも、これで君も目が覚めたはずだ』 メッセージの続きが表示される。『準備はいい? 来週、病院へ行くだろう? その時、迎えに行くよ。……あの悪魔の手から、君を救い出すために』 来週、病院。 なぜ蒼くんがそのことを知っているのか。今の私には、そんな疑問を持つ余裕さえなかった。 私は涙を拭い、スマホをぎゅっと握りしめる。 もう、迷いはない。断ち切らなければならない。 この冷たい檻のような屋敷を出る。 母を連れて、天

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status